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いつ登山を再開できるのか? -自立した登山者としての思考-

 

 こんにちは、山岳ガイド/カメラマンの廣田勇介です。

登山業界の隅っこで仕事をしています。

 

私はいわゆる専業の山岳ガイドではありません。

ガイド一本で生活している国際山岳ガイドになりたい!と憧れた時期もありましたが、カメラマンとしての仕事が好きなこともあり、現在はどっちつかずスタイルで生計をたてています。

 

一時期カナダで仕事をしていたため、カナダ山岳ガイド協会(ACMG)の提供する山岳スキーガイドのトレーニングとテストを受けていた時期がありました。今でも印象に残っているのは、プログラムの開始にあたって「ガイド以外の仕事を持つこと」というアドバイスを受けたことです。 また、勤務先の先輩ガイドも、「ユウスケ、俺は煙突掃除の仕事もしているんだ。それがリスクマネジメントの最初のステップなんだよ」といいました。彼は Mountain guide つまり日本でいう国際山岳ガイドでした。

 

 

BC州ネルソンのBALDFACE Lodge。雪上車とヘリを使用したバックカントリーを提供している。
BC州ネルソンのBALDFACE Lodge。雪上車とヘリを使用したバックカントリーを提供している。

 

このように(どのように??)山岳ガイドはリスクマネジメントのプロフェッショナル(山以外でも)である訳ですので、

先日の山岳4団体が合同で出した登山の自粛に関する共同声明に、職業ガイドの団体である日本山岳ガイド協会(JMGA)がアマチュア組織である日本山岳会、日本山岳協会、勤労者山岳連盟と名前を連ねていることに少なからず違和感をおぼえました。

 

業務として登山に関わるプロフェッショナル団体は、アマチュア団体とは異なる観点をもっていて当然だと考えたからです。

 (優劣ではなく、差異の話です)

 

 その後、5/4の時点で日本国内の登山メディアに掲載されている様々な記事の情報の公平性や透明性に関して疑問が湧き、知人や同僚ガイドにとって考えるきっかけになればと思いこの記事を書きました(私のブログなど影響力は皆無ですけどね..)

 

ここにきて、韓国スイスなどでは、登山やそのほかのマウンテン・アクティビティへの規制が段階的に解除されてきています。各国とも感染状況や拡大防止戦略が異なりますので、一概には参考になりませんが、私たちも、いつ登山が再開できるのか?また、それはどのような状況下なのか?基本的には自粛を守りつつも、そろそろこういったことを考える時期なのではと思います。

 

事前に断っておきますが、私は人々に向かい自粛を強制したい訳でも、自粛要請を遵守しない方々を取り締まりたい訳でも、はたまた、一方的に自粛を破ろうと主張する訳でもありません(いや、本当は破りたいw)

日本政府といえども、要請という形をとっている以上、誰もそれを(お願いという形でも)強制できないのです。

 

(現在が本当に危機的な状況であり、日本政府が国民の生命を守る必要性を痛切に感じているならば、公共交通機関も止めるでしょうし、国会議員が密集した状態で審議を進めているはずがありません。ただ、ここではその是非については触れません)

 

私は単に、山岳ガイドとして普段の業務と同じように、自分をとりまく状況を整理し、リスク評価を行った上で一日も早く業務を再開したいと思っているため、この記事は同じように考えるガイドさんのための、思考の整理のための記事だと思っていただければ幸いです。

 

5/1 23:39 追記 カナダの知人より。閉鎖されていたアルバータ州の州立公園がオープンし、感染症対策をした上で、徐々に人々が登山やスキーにでかけているとのことです。

 

山岳ガイドは毎日、自然の状態を観察し、リスク評価を行い、地形選択などの意思決定を行う。
山岳ガイドは毎日、自然の状態を観察し、リスク評価を行い、地形選択などの意思決定を行う。

 

 

【なぜ登山メディアが一斉に自粛要請したのか?】

 

 緊急事態宣言やそれの延長にともない登山の自粛要請の周知が行われ、それにともない各自治体では、登山道や登山口にある駐車場などが閉鎖されました。5/4現在、多くの都道府県において、それらは継続されています。

  

本来であれば、各登山者がそれらの自粛要請に従い行動をすればよいわけですが、山岳四団体の声明にともない著名な登山家の方々が登山の自粛の呼び掛けをされました。

また、Yamakei Online やYamapなど各種WEB系の登山メディアも、自粛要請の記事を掲載され、並行して日本アルプスや八ヶ岳、富士山などの山小屋の長期間におよぶ休業情報などが報道されています。

 

もちろん、これは一時的なものであり、これらの方々も再開を早めるための自粛であることを明言されてはいますが、全国一律の登山自粛は、登山という行為/文化そのものが消滅しつつあるような印象をうけてしまいます。

 

本来は要請に過ぎない登山の自粛を、登山界が積極的に行ったのか?よく言われている理由は下記の2つです。

 

  1.G,Wを前にし、緊急性があったため

 著名な登山家の方々の要請、登山メディアの報道の多くは、個人的にはかなり強い口調の印象がありましが、遭難が集中するG.Wを前にしていたため、正確さよりも、緊急的な必要性があったと判断したとすれば、致し方ない面もあったのかもしれません。

 

 2.いわゆる医療崩壊を防ぐため 

登山、特に2,000-3,000m級のいわゆるアルプスでの登山の多くは、社会インフラ(山小屋およびそのスタッフ、国立公園スタッフ、警察や消防などの外部レスキュー組織、医療機関)に支えられて成立している一面もあります。

事故がなければ、これらの方々にお世話になることはありませんが、万が一の事故の場合、ただでさえ負担を強いられている医療機関に要らぬ負担を増やし、阿弥陀岳の事故のようにいわゆる救急隊をも含めた「医療崩壊」を誘発する可能性がありました。事故の可能性がゼロでは出来ない限り、レスキューを前提にしているのが登山なのだから、自粛すべきというのも、理解はできます。

 

 

しかし、一方で府県移動を伴わない、山岳遭難に結びつかずイージーな登山、いわゆる里山登山に関してはどうなのか?

健康を維持するためのランニングなど一部のアクティビティは許容されているが、どう違うのか?という議論があります。

これについては後ほど考えていきたいと思います。

 

 

 

登山は様々な社会インフラに支えられて成立している側面がある。
登山は様々な社会インフラに支えられて成立している側面がある。

 

 

 

【遭難者に対する過度の社会的制裁】

 

阿弥陀岳の事故があった際、何人かの著名登山家の方々が事故に対して言及をされました。

その中でも特に私が気になったのは著名登山家の

 

GW中に更なる遭難が発生する可能性大。その時には名前の公表も検討すべき

 

というツイートです。

確かに、私もには「こんな時に事故起こすなんて、何やってんのよ...」と一瞬思い、それぐらいの社会的な制裁が必要なのかな?とも思いました。

 

しかし、私のある山の先輩と電話で話した際、「実名が報道がされれば、今後、それが慣例になる可能性は否定できない」と話しているのを聞き(実際はもっとフランクな言い方でしたがw)、私はうーん、と黙らざるを得ませんでした。

 

 

遭難の度に実名報道がされるようであれば、それは登山者にとって喜ばしい状況では決してないといえるでしょう。何しろ社会は常になにがしかのスケープゴートを必要としているのですから。

 

私が以前乗っていたG3社のScape goatという名のスプリットボード
私が以前乗っていたG3社のScape goatという名のスプリットボード

 

(スケープゴートの意味が分からない方は、ググってくださいね)

 

そもそも法律を犯していなくても、人々が遭難者に対し、社会的制裁を加えたいと思う背景は、社会に迷惑をかけたからという、とてもあやふやな正義感からくるのかもしれません。

 

今は緊急事態なので、登山の本質がわかりづらくなっていますが、登山をしない人にとっては、平時においても登山そのものが、全く社会には必要のない迷惑を前提としたアクティビティともいえるのです。

 

 

しかし、登山の価値を、迷惑を基準に問う限り、リスクの高いアルパイン・クライミングや冬山やヒマラヤ登山などは、平時でも自粛されるべき行為になり、私たちはハイキングしか楽しむことは出来ず、ジョージ・マロリーや植村直己などの偉大な登山家や冒険家は、単なる迷惑な愚か者になってしまいます。

ジョージ・マロリー(wikipediaより)
ジョージ・マロリー(wikipediaより)

  

ドイツのモニカ・グリュッタース文化相は「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在」と言いましたが、アートとはある意味「洗練された愚行」と言い換えることもできます。

 

間違いや愚行が全く許容されない社会は、それはとても息苦しい社会であり、いきつく先は、小説『1984』などに描かれる全体主義社会、ディストピア世界ともいえるかもしれません。

 

(厚生労働省が「新しい生活様式」という単語を使った時、本気で1984へのオマージュなのかと思いましたねw)

 

5/4 19:52 追記(新しい生活様式を提案したのは厚生労働省ではなく、専門家会議でした)

 

ジョージ・オーウェル著『1984』。近未来のディストピア世界を描いた世界最高の予言文学。その世界では人々の思考能力を低下させるためニュースピーク(新しい言語)という簡略化された言語の使用が強制されている。
ジョージ・オーウェル著『1984』。近未来のディストピア世界を描いた世界最高の予言文学。その世界では人々の思考能力を低下させるためニュースピーク(新しい言語)という簡略化された言語の使用が強制されている。

 

ご興味のある方は、こちらの記事もお読みください。

本来は政府の通達にすぎないものを、学者と民衆が拡大解釈し、世にも恐ろしい蛮行が繰り広げられた廃仏毀釈に関する記事です。

私には、当時の状況と現代が重なるのです。

 

【一律の登山自粛は適切か?】

 

登山は自粛対象になり、かたや山菜採りは対象になっていない地域もあります。

また、ジョギングなどは社会的にも許容されていますが、逆に三密に当たらない管理釣り場などは閉鎖されています。 

 

何がOKで何がNGなのか?

 

私たちは、新型コロナ・ウイルスに関する行政や自治体からの要請を守ることと同時に、山岳地帯など都市部から離れた場所に存在する特有のリスクを理解する必要があります。

 

ここで例え話をします。

 

 

冬期間、私は主に長野県でバックカントリースキーのガイドをしています。バックカントリーは大自然の中=雪山で楽しむスポーツですので、雪崩がつきものです。しかし、山岳ガイドが、気象庁の注意報を基準に活動を自粛していては、多くのゲストが楽しみにされている新雪、いわるゆパウダースノーを楽しめる機会は永遠に訪れず、おそらくそのガイドは1シーズンで職を失うでしょう。

 

バックカントリースキーの大半は雪崩のリスクのある雪崩地形で行なわれる。RIder/Arata Suzumura
バックカントリースキーの大半は雪崩のリスクのある雪崩地形で行なわれる。RIder/Arata Suzumura

 

バックカントリースキーを楽しむ人々には知られた事実ですが、実は気象庁の雪崩注意報は、一部の地方では、冬期間100日以上の連続で出されている年があるのです。 

 

なぜかというと、気象庁の雪崩注意報は、降った雪(降雪)と気温のみを基準に出されており、積もった雪(積雪)は評価の対象としていないこと、また基本的に居住地域を対象にしており、我々が楽しむ山岳地域を対象にしているものではないためです。

 

 

しかし、私たち山岳ガイドは、そのような出しっぱなしの注意報にしたがっていては、仕事になりません。ですので、業務として雪山に関わる人のための、雪崩リスクマネジメントの講習会を受講したり、山岳ガイド協会が提供するスキーガイドプログラムなどを受講したりして、業務目的遂行のためのリスクマネジメントのスキルを活用して、仕事をしているのです。

 

山岳ガイドは雪崩リスクを軽減するため、様々なスキルを学び、トレーニングを積む。2003年カナダレベルストークでのCAA AvSAR講習会にて
山岳ガイドは雪崩リスクを軽減するため、様々なスキルを学び、トレーニングを積む。2003年カナダレベルストークでのCAA AvSAR講習会にて

 

 

現在の一律の登山自粛はこの気象庁の雪崩注意報に似ている部分もあると感じます。

山岳地帯におけるリスクマネジメントの重要なプロセスである地形に合わせたリスクの評価の概念が抜けているためです。

 

簡単にいうと、近所の裏山と残雪期の槍ヶ岳では、リスクが異なるという話です。

 

こういう話をすると必ず「あそこはOKでここはNGといえば、必ず守らない人が出てくる。今は一律自粛しか考えられない」という批判を受けることになります。

 

しかし、何が問題なのか?リスクが不透明なままで、議論さえ許されない現在の風潮は、かえって危険だと感じます。

仮に緊急事態宣言が解除になり、登山が可能になった際にも、自分自身の感染や感染再拡大の可能性がゼロになることはないからです。

 

ただ、登山自粛要請が緊急性を要すものだったこと、本来は長期間の訓練や講習を経て身につくリスク評価の概念を一般登山者に求められないこと、などを考えれば、この措置は致し方ないとも思われます。

 

現在の全国一律の登山自粛要請があくまで緊急性によってもたらされたものである以上、完全なものではありません。

その解除の基準についての議論は、自粛期間中からされるべきであると考えます。

 

 

 

 

 【業種や立場によって異なる登山自粛の理由】

  

一般登山者が趣味として楽しむ登山と、業務としての登山を一律に考えるべきではない、という話をします。

  

一例としてこの記事で紹介されている赤岳鉱泉、行者小屋を経営される柳澤さんは、11月まで両小屋の休業を決定されました。11月までの休業予定となると、「夏や紅葉シーズンも登山が出来ないのではないか?」と思う方もおられるでしょうが、柳澤さんは、その理由をまず、感染拡大を防止するため、そして次には経営的観点から決めたとお話されています。

  

山小屋はスタッフの雇用、仕入れ、ヘリの荷揚げなどオープンしているだけで様々な支払いが発生します。山小屋は、緊急時の登山者の受け入れなど、登山インフラとしての役目も果たしてくださっていますが、当然ながらボランティアではなく、営業利益をあげなければ施設を維持できません。感染拡大防止が一番の理由とはいえ、柳澤さんはそういった複数の要素を考慮し、融資を受け、読める範囲の赤字を受け入れた上で、休業を決定した。とお話されています。 

 

富士山吉田口の山小屋も今夏の休業を決定した。
富士山吉田口の山小屋も今夏の休業を決定した。

 

一般登山者の登山自粛の理由、また山岳ガイドの登山自粛の理由は、それぞれ異っているはずです。

今後、緊急事態宣言が解除され、人々の移動が段階的に緩和された時、山小屋が営業していないが、登山は可能という事態も充分ありえるでしょう。

 

そして、その際の登山は平時とは異なるリスクがあり、登山者はそのリスクを認知し、評価した上で、自身の行動を決めていかねばならないわけです。  

 

 

 

 【相互扶助の登山文化】

 

話は変わりますが、今から100年ほど前、日露戦争当時の我が国はイギリスと同盟を結んでいました。日英同盟です。

19世紀のビクトリア朝のイギリスは大英帝国と呼ばれ、7つの海を支配していた文字通り世界最強の国でしたが、

当時アジアの弱小国に過ぎなかった日本とも対等な条約を結び、同盟を締結している間は条約を厳密に遵守し、日英双方とも、一方的に条約を破るという違反行為はしませんでした。

 

日英新同盟記念絵葉書 (明治38年)http://blog.livedoor.jp/liveyousan/より
日英新同盟記念絵葉書 (明治38年)http://blog.livedoor.jp/liveyousan/より

 しかし、日英で決定的に異なっていた点は、イギリスは同盟を遵守しつつ、いつ条約が失効するのか?また、失効した場合、日本とどのように戦うのかを、戦略として条約締結時以前から考えていたことです。

 

 

その差が、どのように現れたかは、その後の両国の歴史をみれば明らかでしょう。

 

 

ひるがえって(スケールが全然違いますが)私たちも個人としては自粛要請を守りつつ、ではどういう状況下で登山が可能になるのか?

また、逆に自治体が登山道を開放した場合、それでも残るリスクは何なのか?

   

マスコミやオピニオン・リーダーの意見を鵜呑みにせず、これらの要素を自分の体力や経験に応じて、登山者一人一人が考えていく必要があります。

 

ちなみに、このように自分の頭で判断し、自分の行動に責任を持つことのできる登山者のことを、登山メディアは一時期「自立した登山者」という表現を使ってきました。(最近あまり聞きませんね…。主張する方々が少数派になったからでしょうか??)

 

この表現、実は私個人はあまり好きではありません。なぜなら、そもそも人は自然の中で、完全に自立することなど出来ないからです。

(何か自分のことを「山が分かっている登山者」だと思ってる人が作った言葉のように思えてなりませんね)

 

また、文化的な側面からも、自立あるいは個人主義というのは、強烈なキリスト教信仰とそれによって生まれた西欧民主主義社会にだけ成立する文化であり、日本は相互扶助の文化だと思っているからです。

 

私たちが文明社会で生きている以上、山岳自然といえども、日本社会の延長であり、日本社会とは「持ちつ持たれつ」「お互いさま」で成り立ってきた社会といえます。 

 

(反面、相互扶助の文明社会は「馴れ合い」や「付和雷同」に堕する可能性をいつも孕んでおり、それが今回、一部のオピニオン・リーダーの考えがまるで登山者全体の意思のように報道されている原因ではないかと思っています)

 

-ガイドは顧客がいるから仕事が成り立ち、顧客はガイドによってより高い安全を手にいれることができる。

-山小屋は顧客がいるから営業がなりたち、顧客は山小屋によってより質の高い安全や快適な登山を行うことができる。

-そして、税金によって運営される警察や消防などが万が一のためのバックアップとなっている。 

 

 

そういった相互扶助の仕組みを理解し、山の中では悲観も楽観もなくリスクを判断し行動することが、大自然で生き残る秘訣ではなかと思います。

 

 

山にはコロナ・ウイルス以外にもたくさんのリスクやハザードがあり、人々を殺してきた歴史があります。

 

新型コロナ・ウイルスも自然界に存在するリスクの一つに過ぎない。

 

自然の中で遊ぶ登山者であれば、今回の騒動の本質を、そのように捉えられるのではないでしょうか。

 

 

 

YH