
タイトルはあまり気にしないでください。
しかし上の写真、我ながら神秘的ですね。
はたしてi-phoneで神霊が写せるのか?とは、まったくもって神秘的な命題です。
私は写せるというか、写ることもあるって思っています。
上の写真は愛宕山山頂、愛宕神社本殿前の階段。
さて、先々週末に行ってまいりました愛宕山・山岳遍路ツアー。
まずは、愛宕山の位置関係のご紹介です。

御所のある京都の北西の位置を守るのが、愛宕山(とその神仏)。
そして、鬼門の北東には、あの比叡山と延暦寺があるのですね。
ちなみに、江戸幕府が開かれた際、この構図はお江戸でも再現されることとなります。
上野の東叡山(東の比叡山という意味)寛永寺と、虎ノ門近くの愛宕山神社ですね。

江戸の守りとしても、愛宕山と比叡山はセットになって輸入されたのですね。
ちなみに、東京の愛宕山は23区の最高峰(標高27m!)でもあります。
愛宕山といえば、落語の演目も有名ですね。
江戸時代に野駆け(今でいうハイキング)にでかけた幇間(たいこもち)のお話。
そのほか、江戸時代の売れっ子作家・十返舎一九による滑稽本「東海道中膝栗毛」に、
「伊勢へ七度(ななたび)熊野へ三度(さんど)
愛宕様(あたごさま)へは月参り」
というフレーズが登場します。
伊勢、熊野というメジャー聖地に匹敵するローカル聖地だったのですね。
その他、神仏への誓いを表す表現として
『愛宕白山に誓って』
という言葉もあります。
つまり愛宕山といえば、関西では神仏の代表でもあったわけです。
では、実際のツアー風景を。
…。
写真がない。(ことに気づきました)
お話に夢中で・・・。
途中、25丁目の落語に登場する小屋跡のお話とか、
四角友里さんが、抱きしめた杉の木とか(あと数年で御神木になるかもしれません)
そんなお話をしながら、登ってまいりました。
ですので、次の写真はいきなり山頂。

途中、登山道(参道)は前回の台風で倒木だらけ。
それでも、古くから残る広葉樹の森は問題なく、
やはり、植林の杉関係の木々の倒木が顕著でしたね。
山頂には現在、愛宕山神社が祀られていますが、
明治時代以前は、白雲寺というお寺がありました。
さらには、この愛宕山、かつては麓の大覚寺の御領でした。
(現在も、愛宕山の例大祭では、お神輿が大覚寺に立ち寄るそうです)
大覚寺といえば、南北朝時代の南朝の拠点。
弘法大師空海の開基による真言宗のお寺であり、
第91代天皇後宇多の皇統は、後宇多法皇が大覚寺にお住みになられたことにより大覚寺統(南朝)と称されることとなりました。
大覚の意味とは実は「アンドロメダ銀河」のことなのですね。
ですから、有名な大覚寺党とは「アンドロメダ党」ということです。
かっこいい。。。
下山後はこちら。

名物の志んこ。

ねじれたお団子は、九十九折になった愛宕山の山道を表しているとされてます。
白、茶(ニッキ)、緑(抹茶)のフレーバー。
終日、パッとしない天気でしたが、
逆に、霧が神秘的な様相を醸し出し。。。
愛宕山の神様は火防の神様ですからね。
ミストは、お出迎えの象徴なのでしょう。
(と、ポジティブにとらえます)
とはいえ雨には降られず。
本格的な紅葉は、あと一週間というところでしょうか。
ご参加ありがとうございました!
YH