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神様百名山第49座目 御嶽山

2014年8月の御嶽山三ノ池
2014年8月の御嶽山三ノ池

今月の『ランドネ』神様百名山は第49座目、御嶽山です。

 

連載がはじまって以来、丸4年が経ちまして、百座のうち約半分

感慨深いですねぇ。

 

実は、今回の御嶽山、

連載が決定して、はじめて取材させて頂いた山(第一座目の掲載は小御嶽山)でもあるのです。

 

そして、ご存知のとおり、御嶽山は2014年9月24日に突如として爆発し、

多くの方々が犠牲になりました。

 

その後、入山規制がかかり、登山道も閉鎖されましたので、

この時に撮影させて頂いた写真は、そのまま公開せずにいたのでした。

 

そして、それから4年。

 

先月27日、火口から半径1キロ圏内の立ち入り規制の一部が解除され、

御遺族の方々による、はじめて剣ヶ峰までの慰霊登山が行われたのです。

 

産経ニュースより
産経ニュースより

 

当時、御嶽山を取材して思ったことは、

 

「この山は未だに霊山である

 

ということでした。

 

未だに多くの方々が白装束をきて、

山そのものを御神体と考える方々が大勢おられ、

実際にそのようにして、登られていたのです。

 

富士山をはじめ各地の霊山では失われつつある、講社による信仰登山が、現役で生きていたのです。

 

白装束で登られる多くの方々の姿を目撃し、

 

麓では、数多の霊神碑(れいじんひ)を拝見し、

 

霊神碑。お墓じゃありません。なくなった人の魂だけが御嶽山に帰る、ヨリシロのようなもの。
霊神碑。お墓じゃありません。なくなった人の魂だけが御嶽山に帰る、ヨリシロのようなもの。

 

 

御嶽山の地霊をどっぷり浸かっていましたので、

 

東京に戻ってしばらくしてすぐに噴火がおこったのを聞きいた時、

こう思わずにはおれませんでした。

 

「なんで?」

 

山に神がいるのなら、よりによって最も敬虔な彼らの信仰する山で、なぜ噴火が起こるのだろう?

 

 

 

 

私自身が、この連載を通じて、考えていくべき命題の一つが、

連載が始まる前に、この御嶽山の噴火によってもたらされた気がしました。

 

 それほど、ここ御嶽山で見た信仰登山の形態は力強く、

確かなものに思えたのです。

 

というのも普段、多くの日本人にとって、神や仏といった存在は、キリスト教徒やイスラム教徒のように「信仰」を通じて対峙するものではなく、

 

「文化」として生活の中に、

「年中行事」として日常の中に

 

きづかずに溶け込んでいる存在だと思います。

 

 

(道端の地蔵菩薩。本来は弥勒菩薩が出現するまでの間、末法の世を救うためにこの世に派遣された特別な使命を帯びた仏。

でも、日本に来てしばらくすると愛されキャラになってしまう)

 

 

 

信仰などと、とりたてて意識するほどのものではなく、

 

地元の氏神さんなどは、近所のおじさん、

少し遠くにある有名神社なども、帰省先でたまにあう親戚のおじさん、くらいに思っている方がほとんどかもしれません。

 

(さすがに伊勢神宮などにお詣りすれば、樹木希林さんや黒柳徹子さんのようなレアな芸能人に会ったような感じでしょうか)

 

 

 

でも、そんな現代の日本で、山とはいえ、信仰のために命を落とした方がいることは、

私にとっては、とても衝撃的なことでした。

 

 

その後、各地の山の取材が終了するたびに、

蔵王大権現の祀られる蔵王・刈田岳。
蔵王大権現の祀られる蔵王・刈田岳。

 

 

神山(箱根・大涌谷)
神山(箱根・大涌谷)

 

どんどんと、火山性微動、地震や噴火の予兆などが山々にもたらされ、

とても当たり前のことなのですが、

 

この国は、火山の國、であるという事実に、改めて気付かされたのです。

 

当たり前過ぎますね。

 

 

でも、その当たり前のことが、

忘れ去られてしまうところに、

 

人類の、因果というか、なんというか、21世紀にも、神社や寺院が必要な理由があるのかもしれません。

 

富士山北口浅間神社
富士山北口浅間神社

 

富士山の北側の麓、富士吉田の街に、富士山北口浅間神社という神社があります。

 

この神社の境内には、富士山の大神=浅間大神を祀る浅間神社と、

諏訪の建御名方神を祀る諏訪社と大きく二つの社が建っています。

 

現在は、富士山を祀る浅間神社のほうが社殿も、作りも立派で、

参道の正面に鎮座していますが、

 

元々、この敷地は諏訪社から始まったとも言われています。

富士山閉山祭。現在も明神さんと呼ばれる諏訪社から出発する神輿のほうが地位が高い
富士山閉山祭。現在も明神さんと呼ばれる諏訪社から出発する神輿のほうが地位が高い

 

 

江戸時代以降、富士山信仰が盛んになるにつれ、

多くの信者の方々が寄進をして、

浅間神社のほうが勢いがましていった、と言う歴史なのですね。

 

富士山登山の歴史は古く、奈良~平安時代まで遡りますが

 

まだ富士山信仰が庶民の間に浸透する以前、

富士山は、ごく一部のハード・コアな修験者だけが足を踏み入れる荒ぶる山だったのです。

 

そして、浅間神社は、

富士山の噴火を鎮めるために時の朝廷が建てた、

 

いわば、国家の安全保障のための社だったのです。

 

(これは表口、静岡県側の富士山浅間大社の話ですが)

 

 

人々が富士山に願うことは、

 

『頼むから噴火しないでね』

 

ということだけでした。

そういう切実な願いだけで発生した神社ですが、

 

平安時代に起こった貞観大噴火(864~866年)以降、1000年近く、

大規模な噴火の記録はなく、そうすると、人々は、富士山に様々な願いを託しはじめるようになります。

 

ここからは、どこの神社でも同じですね。

例のあれです。

 

・商売繁盛

・金運上昇

・恋愛成就

・交通安全

・羊頭狗肉

・Easy to go, easy to dance

 

(最後の二つは、関係ありませんね)

 

現世利益ってやつです。

(私も欲しいやつです)

 

しかし、昨今の巨大台風や気候変動、火山噴火や頻発する地震など。

20世紀にはあまり経験しなかった強烈な自然災害に直面するようになり、

 

平安時代に、普通に生活していた人々が祈った、

 

「頼むから噴火しないでね」

 

という状況に近づいているような気もいたします。

 

 そういった時代に再び突入しつつある私たちが、

日本に残された神や仏に何を祈るのか。

 

善光寺六地蔵(地獄・餓鬼)
善光寺六地蔵(地獄・餓鬼)

 

それは、江戸時代の人々の祈りとも、

20世紀の人々の祈りとも異なる、

 

この時代特有の祈りなのかもしれません。

 

 

 

今から20年前に、作家の村上龍は、

 

『憂鬱な希望としての、インターネット』

 

という本を出しました。

 

 

当時出始めて間もないインターネットが、

なんとなく便利で素晴らしいものではある、という認識はあったものの、

私たちの社会に対して、恩恵をもたらしてくれるものか、

両手をあげて、ウェルカム!といえない、

 

まさに「憂鬱な希望」だったのです。

 

でも、実際には、現時点ではインターネットはインフラの一つとなり、

もはやそれ無しでは社会が成立しないものとなっています。

 

そして、今、様々にもてはやされているAIとかクローンとかの未来の技術

(適切な情報もってないのでそうとしか表現できない自分が情けない)

 

が、再び「憂鬱な希望」として、

未来に見え隠れしています。

 

それら未来の技術も、今までと同じ、インターネットの登場や、スマホの普及と同じなのですかね?

 

先にも書きましたが、適切な情報もってないし、興味もないので、

判断のしようがないのですが、

 

一つだけ言えるのは、

 

そういった時代の「祈り」の意味は決定的に異なる。

 

ということです。

 

クローン人間ができる可能性のある時代に、

それでも人が亡くなったら、寺院にいって、お香を炊いて、お経をあげて、亡き人を偲ぶわけですからね。

 

もう、江戸時代の人の祈りとは、本質的に何かが違うわけです。

 

  

 

民間信仰としての富士講とお焚き上げ。現在でも伝承されている。
民間信仰としての富士講とお焚き上げ。現在でも伝承されている。

 

 

 

そして、それに対して自分なりの回答を出すための道すじが、

 

 

ランドネ「神様百名山」「山岳お遍路ツアー」

 

といえるかもしれません。

 

 

(え?これもまた広告だったの?)

 

 

これからの残り五十座を巡る旅のうちに、

その答えが出るといいなあ、とのどかに思っております。

 

 

YH